「平和ボケ」なんて言葉は嫌いだ!
今日は8月15日。終戦の日。
親戚との何げない会話の中で
「あのラジオ放送は、何を言ってるか分らなかった」とウチの父親。
数十年前の玉音放送を、近所の集会所で聞いたらしい。
「もっと頑張れと言ってるのかと思った」と笑う。
テレビでは、”核兵器”についての議論が。裏では戦争映画が。
誰だって平和が良いし、戦争をすべきじゃないと思っている。
国を守るために武器を持つべきか、持たざるべきか。
アメリカに頼るべきか、止めるべきか?
核兵器は・・・。
でも、思う。
武器で戦う。武器で国を守るって時代遅れじゃないのか?
例えば、日本の武器は「技術力」だったり「アニメ」だったり「侘び・寂び」だったり。
例えば、ミサイルが抑止力でしかないなら、リアルな張りぼてミサイルを作って
(情報的にも操作して)、
余剰金で、それら技術力等を伸ばせば良いんじゃないか。
右の頬を殴られたら、左を出せ。
いやその前に、「これだけ技術力のある国に戦争は仕掛けられねえよなあ」とか。
「『トトロ』とか『ドラゴンボール』の国に戦争はちょっとなあ」とか。
そう思わせれば、良いんじゃないのか。
「平和ボケ」と呼ばれてかまわない。
では。
(と言いつつ、裏でこっそり核より怖い殺人兵器を作ってたりして。)
by yagisan123 | 2009-08-15 23:46 | 想い | Comments(2)
新藤兼人が映画「陸に上った軍艦」の中で同じ事を言っていました。海軍の兵隊だった彼は、アメリカの爆撃予告があったので、土嚢の裏で同じ班の兵隊達と緊張してその時間を待つわけです。しかしその時刻になっても爆撃はない。すると伝令があって、班の代表として行ってみるとラジオの玉音放送。しかし誰も何を言っているんだかわからずに元の場所に戻る。その様子がなんとも滑稽というか、おかしいんですよ。班に戻って、「何だった?」と聞かれ、「さぁ、がんばれってことじゃないか」というようなことを言うわけです。yagiさんのお父さんと一緒ですね。
夜にNHKで、核兵器の是非について討論をしてました。
核兵器ってホントに抑止力になっているんだろうか?と疑問が。
形ばかりの核兵器なら、張りぼてでもかまわないじゃないかと。
その余剰金をもっと有効に(平和的に)使えば、いくらかでもこの地球が住みやすくなるのになあと思いました。