そう、結婚式は3月10日だったので
3月11日を意識しましたね。やっぱり。
息子の会社関係・友人関係が関東や遠方の方が多かったので
暗い話しではなく、”福島は良い所なので、遊びに来てください”的なアピールをしようかと思ったけど
両家代表挨拶で、あまり長く話すとそれだけボロが出る可能性が多くなるので止めました(笑)
あの時は、実際に日常では起こりえない色んな経験をしたけれども
自分も、被災者というポジションであったわけではなく
(まあ、会社の天井にひびが入ったり、自宅待機的な事をしていたけれど)
福島県といえど、どちらかといえば被災者(避難者)を迎えた方の地域に住んでいるせいか
”もうイイじゃん。その話は…”的な感じでいます。
まあでも、大変だったと言えば大変でしたね。
当時、長男は仙台で学生をしていたので、アパートで一人暮らし。
電気も水道も止まって、炊き出しでしのいでいたようです。
公共の交通機関は止まっていたので、車で迎えに行こうとしてたんですが
ガソリンが思うように供給されず。
ガソリンスタンドの長蛇の列に並んで、一度の給油が10ℓ。
3~4日かけて、ある程度の量を給油して仙台に向かいました。
信号の点灯しない国道4号線を不思議な気持ちで走りましたね。
そして嫁さんも、たまたま岩手の実家に里帰りしていて、
こちらは迎えに行きようもなく、一週間後に自力で帰ってきました。
まあね、確かに復興が遅れている地域や、復興しようもない地域もあるけれど
テレビなんかでは、そんな地域や色んな問題点を映し出すけれど
そんな暗い映像ばかり映し出されるのは、どうもねえ……。
普通に日常を送っている姿を撮っても、テレビ的には何の面白みもないけどね。
そんな普通の日常を、今は過ごしております。
結婚式は、そんな普通の日常の中の非日常な一日でした。
(前撮りから)
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みんなに幸あれ。